父・田下憲雄が永眠いたしました。

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2025年5月11日、父・田下憲雄が永眠いたしました。

父は2022年に大病を患い手術。その後遺症で要介護となりました。

お世話になっている方々に心配をかけたくなかったので、あえてあまり表で言わないできましたが、
この3年間は、自宅で母と私が父の介護を続けてきておりました。

病がわかったときは、手術をしてもおそらく余命一年と言われていたので、それを思えば3年よく生きてくれたと思います。

父の病を知ったときはやはりショックで、大泣きもしました。

けれど、自宅で介護をしながら、いつしか

「お父さんは生きられるだけ生きてくれたらいい。お父さんが生きている間、家族で笑って暮らそう」

と心を決めました。

介護生活は決して楽ではなかったです。何もかもが初めての体験、わからないことだらけで壁にぶちあたって途方に暮れたことが何度もありました。

父と意思疎通ができないこともたびたびで、父に苛立ちや激しい怒りを覚えた瞬間もありました。
日々の介護で体がくたくたになってしまったり、ストレスで不眠が続いた時期もありました。

そんな中でしたが、介護を続けるために支えてくださった方々がたくさんいらっしゃいました。

父のケアマネージャーさん

介護用品サービスのスタッフの方々

デイサービス事業所の職員の皆様

訪問診療のお医者様方

そして、訪問看護師の皆様。

これらの方々が助けてくださらなかったら、父の介護をやり遂げることはできませんでした。
改めて、皆様への思いもまた書くつもりですが、この場を借りてお礼をさせていただきます。

本当にありがとうございました。

父、田下憲雄は、私が社会人として誰よりも尊敬する人です。

会社の経営者として社員を守ることに注力し続け、志を高く持ち続けていた父。

仕事が忙し過ぎて、家にいるときはあまり口を聞かない父でした。

子どもの頃はあまりかまってもらえなくて寂しさを覚えたこともあったけれど、
自分が大人になるにつれて、仕事する父を見ながら、働くこと、人の役に立つこと、志を高く持つことの大切さを自然と学んでいた気がします。

・おべっかや耳あたりのいいことしか言わない「取り巻き」を作ってはならないこと

・会社の業績が高い会社ではなく、現場で働く人たちがたくさんお金をもらえる会社がまともなのだ、ということ。

・自分のドメイン(存在領域)をきちんと作ること

・最適な言葉を生み出すためには、ひたすら考え続けること

・働くことは社会貢献であり、人の役に立とうすることであること。

これらのことは、みな父の背中から教わりました。

つらいことも多かったけれど、それでも、父と過ごしたこの3年間は幸せでした。

一緒に笑ったこともたくさんあった。

一緒に美味しいものも食べた。

何度も父を抱きしめたし愛情も伝えました。

そういうことに鈍感だった父に、きちんと伝わっていたかはわからないけれど。

今は、父が旅立った寂しさと介護が終わったのだという現実を前にして、心にぽっかり穴があいた感じです。
まだしばらくは父を思って泣くときもあるでしょう。でも、少しずつ前を向いていきます。

お父さん お疲れ様でした。

『志を高く、視野を広く、目線は低く』

お父さんが大切にした志を私も心に抱いて生きていきます。

大好きなお父さん ありがとう。

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この記事を書いた人

映画、音楽、文房具をこよなく愛するフリーライター。趣味はヴァイオリン。
執筆、取材等のご依頼はお問い合わせからか、startofall@gmail.comまでご連絡ください。