信者を求める人の弱さ:SNSで気をつけたい自己承認の危うさ

  • URLをコピーしました!

弱い人間ほど信者を集めたがる。そういうことがあると思う。

誰だって、自分を肯定してもらいたいし、ストロークが欲しいから。それには、信者を作ってしまうのがてっとりばやい。

でも、それは、裏を返せば、信者に自分を肯定してもらいたくて仕方ない、肯定してもらえないと我慢できない、いわば、恐ろしく甘ったれの人間がやることだと思う。

私がフェイスブックをやめないけれど、積極的にやらないのは実はそういうところが理由だったりする。

フェイスブックは、よくも悪くもお友達同士だけの内輪感を作りやすい分だけ、お取り巻きも作りやすい。

以前、フェイスブックで誰かが発言したことに対して、次々「同感です!」「よく言ってくれた!」みたいなコメントが次々つながっていくのを見たとき、ちょっと怖いなと思った。

一応フォローすると、発言した方が何か変なことを言ってたわけじゃない。たぶん、正しいことを言ってたと思うし、コメントを書いていた方たちも、本心から賛同していたのだろう。

でも、コメントがつながっていくさまを見た時、正直「おとりまきって、こうやってできていくのかもしれないな」とちょっと怖くなって、以来、フェイスブックでの発言に慎重になっていった。

人が生きていくうえで、ストロークがもらえないのはどうにもつらい。だから、私だってついついSNSとかで自己承認欲求を満たそうとしたり、誰かに肯定してほしいと思ってしまったりする。でも、度が過ぎて自分を肯定してくれる人をたくさん求める=信者を作るようになったら、前述したようにそんなのただの甘ったれだ。

SNSは「いいね!」が手軽にもらえて、それがすごくありがたくて励みになるときだってあるけれど、一方で信者を簡単に集めることができる、みたいな危うさも常に秘めているものだから、気をつけて使いたい。

ちなみに、今回書いたようなこともあって、SNSはフェイスブックよりもTwitterをよく使う。Twitterの方が比較的内輪感がなくて、「同じ場所にいるけれど、あくまで他人同士だから」という世間知が行き届いている気がするので、楽なのだ。

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

映画、音楽、文房具をこよなく愛するフリーライター。趣味はヴァイオリン。
執筆、取材等のご依頼はお問い合わせからか、startofall@gmail.comまでご連絡ください。