ごきげんよう、ライターの愛です。
日頃、読ませていただいているT.Murakami(@SY_SI_Murakami)さんのブログ「ブログのちから」の「ブログ黎明期のあの自由さは、いつごろ失われたんだろう。」という記事に、インスパイアされまして、書きたくなったことを書いてみます。
かつてブログは日記だった。だから、カオスだった
ブログなるものが登場したとき、まずそれを「日記」として使っていた人はとても多かったと思います。
私自身も、日記を書くツールがほしくて探していたとき、ブログに出会いました。
そして、それから、いつのまにかブログに夢中になって、いまだに続いています。
はまった最初の理由は、自分が日記を書くことが楽しかったから。
そして、同時にほかの人の日記を読むのが楽しかったからです。
当時、使っていたのは今はもうなくなってしまった「マイぷれす」というブログサービスでしたが、とてもいいサービスでした。
ランキングとかおすすめ一覧とかがとても充実していて、ほかの人の面白いブログが探しやすかった。
ただ、おすすめとか人気といっても、今と違って、それは有名人のブログではありませんでした。
それらの多くは、ハンドルネームで実名を明かさず書く日記や記録。
だから、とてもカオスだった。
読書記録だったり、映画の話だったり、ご飯の話だったり、人には言えない恋の話だったり。
それを読むのがたのしかったんです。
「今日、どこそこで何を食べた」とかささいな日記でも、言葉から、生活して、がんばったり、悩んだり、楽しんだりと、伝わってくるものがあって、いろんな人のブログを楽しみにしていました。
時代は流れてブログはカオスではなくなった
あれから、時代は流れました。
そして、ブログはの世界はカオスとはいいきれなくなってきてしまった。
「ブログはこうあるべき」
「役立つことを書かないといけない」
「有名じゃない人が、ただの日記書いても、読まれない」
こんな言葉もよく聞こえてくるようになりました。
どれも一理あるとは思います。
でもね。そういうのを聞くたびに
・世の中にあるブログがすべて「こうあるべき」のラインにのってしまったら、つまらん。てか、ぞっとする。
・役立つことを書けたら、それはもちろんいいのだろうけれど、「役立とう」だけを狙って、自分が楽しくなくなったら、ブログ書くのがつまならなくなりそう。
・有名じゃない人がブログに日記書いたっていいじゃない。てか、むしろ、それが大好物なんですけど!
などと、思ってしまうわけです。
なにげない日記に珠玉の言葉がある
もちろん、だれが見るかわからないものだから、配慮は必要です。
でも、最低限の常識と配慮さえあれば、好きに書いていいと思うんだ。
なにげない日記、「役立つ」を目指して書いてない記事、有名人のものではないそれ。
これまで私が読んできたそういうものの中に、珠玉の言葉があり、私は、これまで素敵な言葉を、いろんなブログからもらってきました。
だから、ブログ読むのが今も大好きなんです。
もう、ブログはかつてのカオスだった時代には戻れないかもしれません。
でも、ブログの世界に、これから珠玉の言葉は存在していてほしいと思うのです。